ガラス玉遊戯は、ヘルマン・ヘッセが小説「ガラス玉遊戯」で提案した、 全ての文化的資産を用いておこなう理性の芸術です。 全ての文化的資産を扱う一般的な方法を用いることにより、 普遍的な原因があるという感覚を得られます。 世界にある物事が、普遍的な原因でとらえられるという感覚により、 美の快感が起こります。 習慣的な活動から解放される手段が見つかり、 人間に可能な成果に活動が導かれていきます。 人間に可能な成果に活動が導かれることで、人間の奇跡が経験されます。 全ての文化的資産を用いる一般的な方法は、客観的必然性ではなく、 主観的妥当性によって成り立ちます。 客観的必然性は物事の原因を客観的に現しますが、 主観的妥当性は物事の原因を主観的に現します。 可能性は主観的妥当性において用いられる、人間の能力です。 可能性を利用し、人間は物事の原因を主観的に扱えます。 全ての文化的資産から思考の形式を得、可能性を現すのに利用できます。 ある可能性と関連する他の可能性を、人間は見つけることができます。 この時、複数の可能性に、主観的に同一の原因が想定されます。 ある可能性を示す文化的資産と、他の可能性を示す文化的資産は、 可能性においては同一の原因が前提されえます。 芸術では、ある表現から他の表現に至る過程で、 自分を超越的な立場におく理由が見いだされることで、快感が生まれます。 ある表現を目的として活動したとき、他の表現が関連して見いだされるとき、 この他の表現には合目的性が成り立っています。 合目的性は人間の能力であり、 芸術は合目的性という人間の能力によって成り立っています。 人間は対象に合目的性をおよぼすことができます。 目的が成立するとき、理由が前提されます。 芸術による快感は、自分自身にさまざまな理由を前提するよう、 目的を見いだせる人間の能力によって、成り立ちます。 理由とは、現象においては、原因です。 理性の芸術の対象とは、原因そのものです。 ある文化的資産を用いて、可能性(仮に可能性aとする)を生み出します。 可能性aと同じ原因を持つ複数の可能性がある場合、 この原因は普遍性の高い原因(仮に原因Aとする)とみなすことができます。 ある可能性bにあらかじめ普遍性の高い原因Bを前提し、 全ての文化的資産を検証することで、 原因Bを満足させる他の可能性を見つけられる場合、 原因Bを普遍的と前提した行為は正しかったと言えます。 可能性aを見いだした時、原因Aを見つけ、 あらかじめ原因Aに関連づけて原因Bを前提し、 原因Bが正しいことを見つけられたとき、 原因Aと原因Bとを包括するより上位の原因があると感じることができます。 今後、原因ABCD・・・は上位の原因が顕現したものとみなします。 原因Aを十分に現す可能性を、普遍的可能性Aと呼ぶことにします。 同様に原因Bを十分に現す可能性を、普遍的可能性Bと呼ぶことにします。 普遍的可能性をガラス玉で扱うこととします。 普遍的可能性はいくつ用いてもかまいません。 また、普遍的可能性を相互にどのように関係づけてもかまいません。 普遍的可能性を現すことによって要求される現実は、 可能性を現す文化的資産を見いだすことにより、確認されます。
1.ガラス玉遊戯の定義
2.可能の背景
3.芸術の資格
4.方法の案内
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