
やがて戦争の20世紀がはじまり、そして過ぎた。
ヨーロッパのあちこちに、
学術や芸術の成果を用いて芸術を試みる人々があらわれた。
精神の権威を人々に感じさせながら、300年以上の時をかけ、
全ての文化的な資産を用いる芸術がゆっくりと成長した。
荒廃した時代が過ぎるなか、ガラス玉遊戯と呼ばれ、
人々の希望をつないだこの芸術は、
西洋の音楽と東洋の瞑想の上になりたっていた。
人々はガラス玉遊戯を象徴とした、カスターリエンという教育州をつくり、
精神の権威を守った。カスターリエンの人達は、精神の純潔のため、
あらゆる世俗的な成功から隔てられたが、そのかわり、
学問や芸術への生涯が保証された。カスターリエンからは、
世界中に、各分野の教師が派遣された。
ガラス玉遊戯は、年々、世界中の人々が見守るなか、上演された。
さらに年月がすぎた。
クネヒトは、最高の権威であるガラス玉遊戯名人になる。
しかし、時代の最高の座につく才能とともに生まれながら、しだいに
世間の住人達の刺激から、共振し、自らが生きていていくものを
見いだしていくクネヒトは、やがてこの座を捨て、
友人の子チートーの家庭教師の職を手がかりに、
世間の生活を得、伝説のかなたへ消えていった。
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物語は、この哀調を否定しないまま、主題へ向かっていく。
一般に、物語の設定としてヨーロッパの没落があげられる。
ヘッセはナチスが勝利すれば死刑になるかもしれないという状況であった。
最後の章だけ「伝説」という設定で書かれていることで気づいた。
最後の章で、クネヒトは主人公ではなく、精神を愛する人々の象徴
であることになる。
ガラス玉遊戯に天分を持ち、文化の頂点へ向かうと同時に、
文化への原始的な衝動に応じる道を歩んでいった。
これが『世界精神』と『始まりの魔法』という主題につながる。
それぞれの花がしぼむように それぞれの若さが たぶん 死の瞬間もまた 私たちを新しい いどころへ若く
老いに遠ざかっていくように 知恵はまた そして
高潔な心は その時を咲き 永遠に続くことはできない
勇気を持ち 悲しむことなく 異なった 新しい
かかわりを自らに与えるため 心は命の呼びかけに
別れと新しい始まりを 覚悟しなければならない
それぞれの始めに魔法が宿り 生きることについて私たちを
守り 助ける
いどころから いどころへ 通り抜けなければならず
故郷のようなものに 愛着することはできない
世界精神は しばりつけたり せまくするのではなく
段階から 段階へ 私たちを高め 広げる
親しみある命の圏へ くつろぎへ 住めることなどわずかで
弛緩には脅しをかけ 出発の準備のできた旅人だけが
なえさせる習慣づけから身をかわせる
立ち返らせ 生命の呼び声は一度として止まないだろう...
ならば さあ心よ 別れよう はれやかに!
物語は、角川文庫刊
ヘルマン・ヘッセ著 井手賁夫訳 「ガラス玉遊戯」
(以下、「ガラス玉遊戯」)を読了後、まとめたものです。
概略は清水書院刊 井手賁夫著 「人と思想89 ヘッセ」から。
※1 「ガラス玉遊戯」の解説部分によります。
※2 Hesse "Das Glasperlenspiel" から私自身による訳です。
※3 「ガラス玉遊戯」本文によります。
(2001年11月13日更新)
リンク 更新 2005年3月20日
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