物事に、おのずから生成変化する理を感じ、物事の昇華に自らを一体化し、
万物の和をもって会得とする。
生成変化する万物の理をもって自らの在り方とするため、
日本人の精神を思想へと固定するには、自然言語は不十分。
草木や自然現象のみならず、物質にも人格を感じ、
自己が存在の恩恵であることに感謝し、奉仕を基本的な在り方とする。
もって、万物に調和をもたらすことを喜びとする。
多くの場合、日本人の精神は言語で固定されない。
同時に、日本人は集団生活を尊重する。
であるから、日本人は、自らを主張することが少ない。
他方、
生成変化する万物の理をもって自らの在り方とする日本人は、
万物を利用して精神を止揚(アウフヘーベン)する。
それは、昨今は、テクノロジーの利用において、顕著である。
これらは主に日本のサブカルチャーにおいて現れる。
例えば、アニメ、ゲームそして他の趣味において。
日本のサブカルチャーは、社会に受け入れられていないが、
日本人の精神の積極的な現れである。
上述の日本人の特質は、
聖徳太子により日本が中国から独立する前も後も、
戦国時代の前も後も、明治維新の前も後も、第二次大戦の後も前も、
日本人に一貫して発見されるところのものと確信します。
「日本人は『和』の心を失った」と言う人がいますが、
例えば、となり近所で醤油や味噌の貸し借りをするとか、
村の子供は村人全員で育てるとか、「表層的な和の形」は、
変化しただけで、今も残っています。
例えば、「アメリカの自由と平等を日本の模範とする」とか、
「戦前の日本は中国や南北朝鮮にひどいことをしたから、
反省を日本の模範とする」という主張が「現代の表層的な和の形」です。
鳥や風の音を聞いて、論理をつかさどる左脳にアルファ波がでる日本人は、
どうしても、万物に人格を感じ、万物の調和のなかで安心しようとします。
おそらく、日本人は「和」を失うことはできないのでしょう。
(欧米諸国の人々と中国朝鮮の人々は鳥や風の音を聴くと、
右脳にアルファ波ができます。)
もちろん、短所もあります。万物に人格を感じるが故に、
日本人は、唯一神など「万物を超えた原理」を受け入れにくく、
原理への信頼から万物を超越する実践として行う「基礎発明」が苦手のようです。
もっとも、他国でなされた基礎発明もまた、日本人にとっての「万物」に属し、
上述の【日本人の特質】によって、驚異的な勢いで「応用発明」が上書きされ、
オリジナルを超えてしまうことが、よく見られますけど。
ところで、保守的な意味でも、革新的な意味でも、
日本人の多くは現在の日本に疑問を感じているようです。
一つの時代の転換点だと自覚し始めているのかもしれません。
日本人は歴史上、常に、自己改革に成功してきました。
今度の自己改革は、どのようになされるのでしょうか?
(2008年11月22日発表)
(2011年11月20日更新)
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